日本絵画の歴史において、独自の特徴が表われたのは、平安時代の頃
で、中国・唐時代の唐絵(からえ)の影響を受け、日本独特の文化の中で、やまと絵として発展していったことが起点にあるといわれている。やまと絵には、日本国有の風土、民衆の身近な生活、物語や和歌の世界、寺社の由来、仏画などが描かれ、江戸・明治の時代まで広く支持されてきた。
やまと絵は、遠くのものを同じ大きさで上へ上へと積み重ねて描かれていく技法であり、遠いものはどんどん上方に伸びてくため、日本の掛け軸が、縦に長い理由の一つともいわれている。
やまと絵を分類すると、画題は3つあるといわれており、春夏秋冬を描く四季絵、1月から12月までの景色を描く月並絵、そして名所の景色を描く名所絵とされ、襖絵や屏風絵という形で残されている。
その後、10世紀末頃から、やまと絵と文書によって構成された絵巻物が製作されるようになった。この絵巻は長い画面に描かれ、その鑑賞の仕方も、右から左に見終わった部分を巻き取りながら、これから見る部分を巻き出すという特殊なものである。
屏風や襖絵には、装飾性の強い花鳥画で描かれるものがある。その時、土坡(どは)という類型化された形態で意匠化されて描かれることが多い。土坡とは、小高く盛り上がった地面のことで、なだらかなカーブで描かれる地面の起伏であり、その部分を、極端に単純化され画面の装飾効果を高めている。 このような表現に見られるやまと絵の技法は、写実的とはいいがたく、装飾的、平面的にデザイン化されたものであった。
平安後期から鎌倉時代には、白描(はくびょう)という墨のみを用いたやまと絵が流行した。白描はあくまでも描線を主体とした表現であり、色彩を排除して墨一色で完成することを目標としている。代表作として鳥獣人物戯画などが挙げられ、現代の漫画に繋がる作品と考えられる。